2009年5月27日 (水)

促されても買い控える気持ちの裏には

堅実という言葉が適当かわからないが必要のないものは買わないという消費行動は堅実という前のごく当たり前の消費意識だ。生活防衛のためには必要なものさえ先送りし買わない。倹約という方があたっている現在の消費心理だ。また欲しくても買えないということもある。これだけ多方面に亘って経済活動が落ち込み家計が減収となり雇用打ち切りに逢うなどとなれば節約の意識が働く。政府は景気刺激策としてエコポイントをつけて家電製品などの購入を促す政策を行ったが一体どれだけの効果があるのだろう。確かに一部業界で目先ある程度の増収効果はあるだろうが消費循環となるほど期待できるだろうか。

現代社会においては車を持つことによって様々な利便性を手にすることができる。同じくエアコンにしても自動洗濯機にしてもそうだ。こうした耐久消費財はある程度普及してしまった今日は新規需要よりも代替え需要が主であることは誰もが知るところである。我が家でも生活必需品は一通り揃い今すぐに購入したいものはない。欲しいものはあるけれど年金生活では不要不急のものには手を出さないしましてやここにきてエコと言われても資産を取り崩してまで車を買い換えることなどはない。少子高齢化が進み新規需要が減少し景気低迷による派遣切りに象徴される雇用不安の中では代替え需要も収縮して行く。消費者ニーズに応える商品が少ないこともあるが雇用や年金福祉そして医療などの将来に不安があるいま余計な支出は避けようという消費者の意識が強く働くのは当然のこと。だから社会福祉に政治の光を当てず目先の刺激策だけでは消費者の購買意欲が衰えたままでとうてい持続的な経済回復への循環を作り出すほどの力とはなり得ないだろう。本格的な景気回復は難しく短期的なそれも若干の景気浮揚効果しか期待できないと思われるのも当然なのではないか。

また高速道路通行料の割引にしても化石燃料を大量に消費することも事実だし高速道路のサービスエリアに落ちるお金で各道路会社系列の子会社が潤うというのもまた事実だ。割り引いた通行料金は国が補填し実害がない上に各道路会社傘下の企業が儲かるという構図は国土交通省の思惑どおりで景気浮揚でも何でもないまやかしの産物なのだと見えるが。このような消費刺激策で低迷する今の経済が回復基調に上向くなど期待できるものではなく皮肉にも低炭素社会実現は遠のくばかりだ。そればかりか既得権益に群がる一部の業者が行政と癒着し税金を私物化する構図が維持されたまま広く一般国民が利益を享受できないことの矛盾を感じてならない。本当の消費拡大政策は福祉政策に思い切った予算をつけ歪み痛んだ各種制度を修復してこそ若い世代も就労する現役世代もそして老齢世代も安心して消費をするようになるのではないだろうか。将来に不安があっては消費マインドが縮むばかりであり今回の刺激策での効果は線香花火のようなものでその効果は限定的だろう。

5月26日に厚生労働省が公的年金の受給に関する試算を社会保障審議会に提示した。この試算によると現在65歳のモデル世帯が受け散る年金は現役世代の62.3㌫にあたる22万3千円(基礎年金含む)なのに現在35歳のモデル世帯では65歳時点で50.1㌫(現在の貨幣価値で26万7千円)に下がるという。また収めた保険料の何倍の年金を受け取れるかという試算では1940年生まれ(70歳)は6.5倍に対して1985年生まれ(25歳)では2.3倍しか受け取れないという。2.8倍も格差が生じるという。

50㌫受給は政府の公約だが試算に使われる出生率や賃金上昇率それに肝心の年金運用利回りの数値が妥当性に欠ける数値で資産の50.1㌫も不確かな数値だ。変動値であるこれらの数値が甘いのである。年金運用利回り4,1㌫などは論外である。何処の金融機関でもそんな運用利回りは出せない。国は何処で運用するつもりなのか絵に描いた餅では腹一杯にならない。あくまでも公約50㌫にするために数値をいじって作られた試算で鉛筆をなめながら作ったと言うことだ。

一時期保険料未納問題が問題になって未納3兄弟などと批判された政治家もいた。あれは制度を熟知していないために起こった未納で制度上の問題や社保庁の運用に問題があったので社会問題化した。しかし依然として年金保険料の未納は改善されていなくて未納率が増えていることも報道されているとおりだ。

一方財政制度審議会(財務相の諮問機関)は6月初旬にまとめる2010年度予算編成に向けた建議(意見書)の原案には社会保障費の伸びを毎年2200億円ずつ抑制する方針「歳出改革の基本的方向性は維持する」として抑制を求めているという報道が目についた。

人間の心理としていかに政府が音頭取り旗を振って景気刺激策をとっても社会保障費が減少し満足な老後が得られないと思ったとき将来の生活を維持するために現在の収入の中で将来に備えざるを得ないのだからできる限り今必要なものにしか支出しないという意志が働くのが当然のこと。年金制度ができて5年ごとの見直しを幾度も重ねある時などは国民年金崩壊を避けるために厚生年金と抱き合わせることでつじつまを合わせたがそれ以来年金の支給額の減額や支給年齢の繰り上げなどでごまかしてきた。不思議なことに共済年金だけは手つかずである。彼らの年金を現在の制度に統合しては公務員の年金支給額が目減りすることがわかっているから避けたと言う他はない。そして今になって年金資産が底をつく日がやってくると年金制度の維持が難しくなるという。これでは将来に不安を抱くのも無理はない。100年安心プランなどといって前回の5年ごとの見直しで胸を張ったがそれも怪しい。国のセールストークだったようだ。国民は官僚の作文を鵜呑みに主張する政治家に騙され続けてきた。国民年金保険料の未払は国家行政に疑念を抱き相互扶助制度維持よりも己の損得を考えて不払いをしてしまう人たちが多いに違いない。厚生年金にしても現役サラリーマン世帯は疑問と不信を抱きながら保険料を払い続けているだろう。彼らに安心して働いてもらうためにも雇用不安の解消や保険給付率の維持は不可欠だ。また年金受給者の高齢者に対しても医療の不安や介護の不安を解消しない限り安心して消費にお金は回さないだろうから現行制度の見直しも不可欠である。肝心の財源については多くの国民は国家予算の使途配分を変えない限りこうした問題の根本解決はあり得なさそうだと思っている。与党には期待できないから野党に期待が向くのも当然のことなのだが政権を変えるエネルギー働くだろうかと思う部分もないことはない。長期間支配してきた自民党政権は紆余曲折あったが強かに生き残ってきた。そしていま目先の景気浮揚策で景気回復にと4度も補正を組んだ。その中には生活や雇用を支援する財源も組み込んだと言うがどさくさに紛れ盛られなくても良い何故こんな予算までいるのかと首をかしげるものも混在していて皆は批判してばらまきだという。与党が自党有利に選挙目当ての対策ではないのかと言われても否定できないものがある。野党は政権交代を執拗に訴えチェンジというけれどもインパクトがない。政権交代して現在問題として指摘されている数々の制度疲労をどう変えるのかグランドデザインが見えない。与党も同じだ。これからどういう国家にして行こうとするのかグランドデザインを示さず対処療法的な方法だけでは綻んだツギにツギをするようなものでモグラ叩きにもならない。

数ヶ月後には衆議院議員選挙が行われる。この際与野党共にしっかりとした将来のビジョンすなわちグランドデザインを示して国民に示して欲しいものだ。それなくして選挙しては国民を蔑ろにするものの何ものではないと言いたい。議員が自らの使命を全うせずに自己の保身にうつつを抜かす政治屋はもういらないと言うことだ。それができなくて従来の延長線上で選挙が行われれば日本の政治改革は更に4年遅れることになる。その間に参議院議員選挙が行われても捩れは解消されないまま混迷が続いてしまうのだ。既成政党に任せられないと自民党でもなく民主党でもなく国民党的な政党の出現でもあれば別だが望むべくもない現状にどう考えて選挙行動しようかと迷うばかりである。選挙難民にはなりたくないのだが果たして期待願望に応えてくれるか疑問である。

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2009年3月14日 (土)

ゼネコンとの癒着で汚した始末どうなる

たしか昨年のいまごろは後期高齢者医療制度に対する批判や道路特定財源の元であるガソリン税の暫定税率廃止などをテレビや新聞などメディアが盛んに取り上げていたように思う。1年後の今サブプライズに端を発した米国の経済不況とあいまって投機による原油高騰も終焉した結果落ち着きを見せていて市場価格も当事よりは大幅に下落した。後期高齢者医療制度は政治の混迷もあって問題を抱えたまま運用され問題の解決はどこかに行ってしまった感がある。この一年間政治の無策は数々の課題を抱えたまま衆議院選挙前の政争が止むことがなかった。長きに亘って政権を維持してきた自由民主党も連立政権を維持できるかどうか判らないほど弱体し不祥事続きで国民の失笑を買うばかりか改革の当事者能力さえ無くしたのかと思われる現状だ。2大政党を言い政権交代を主張する民主党も党利党略による議会運営の姿を見る限り与党と何も変わらずそのあり方が問われる始末。そんな時降って湧いたような事件が起きた。野党第一党党首小沢氏の公設第一秘書の逮捕。政治資金規制法違反の容疑だという。形式犯だと言うのだがそれだけで任意聴取ではなく身柄を取るのはその先に小沢氏に及ぶほどの大きな犯罪があるのだろうと憶測されている。これから捜査の進展ではどうなるか分からないが徹底的に暗部を表に出して世論の批判を浴び政治不信根絶の一里塚にしてほしいと願うものだ。政治と金にまつわる犯罪が後を絶たなかった政界と企業の癒着構造はこの辺で断ち切ってしまわないといけない。

当事者である小沢氏の言い分は国家権力の不当介入であり政治活動に対する不当な介入といわんばかりの言い方をしている。果たしてそうなのだろうか。形式が整っていればその実態が不明朗で不可解なことがあっても責められるものではないとでも言うのだろうか。

仮に犯罪要件が不十分で不起訴となったとしよう。企業がダミーを使い偽装して献金を迂回させていた事実は消えない。得た政治献金をいちいち詮索しないという政治姿勢はいかがなものか。政界で通用したとしても一般世間にはそのような論理は通用しない。そんな言い分は政治倫理の欠如と言わざるを得ない。それももしかしたら政権交代して総理大臣になるかもしれない野党第一党の党首の発言である。金にまつわる疑惑をグレーのままにして総理になることを許すほど国民は阿呆ではない。一連の発言は国民および支持者を愚弄する発言であると言わなければならない。かって自由民主党を批判して飛び出し新党を創った方が裏では政治資金の集め方に疑問をもたれるようでは自己矛盾する。一部報道によれば小沢氏の政治団体が所有する資産の一部には政党解散時にうけた寄付の中に返還するべき政党助成金もあるともいわれている。資産の成り立ちを公にして国民の前に明らかにし批判を受ける必要があると思うのだが。その意味ではマスコミはしっかり取材し事実を明らかにしてほしい。また検察も犯罪立証にしっかりとした捜査してもらいたいものだ。これを契機に議会は政治資金規正法の抜け穴を許すようなザル法は改正するのではなく廃止して新たに立法してもらいたいものだ。政党助成金は廃止してだ。政治家達よ甘えるな。政治改革できずに公務員改革など出来るわけがない。

閑話休題。

ゼネコンのなりふりかまわぬ金の使い方汚い。裏金を作り政界工作に使うのなどとは論外だ。企業経営者のモラルの問題でもあるが経営トップの犯罪を防げなかったのは取締役会のあり方に問題があったのだろう。監査役による業務執行監査機能も欠落していたのだろう。統制のあり方に問題ある企業組織はこうした類の過ちを犯す危険性を内包している。

どの企業であれ企業活における政治活動のあり方についてはもっと志高くあって欲しいものだがゼネコンという業界は自浄能力を持たない特殊社会のようである。経営者の経営理念が貧弱なのか永きにわたって蓄積された企業風土がそうさせるのか。いずれにしても企業存続のためには法をも犯すというのでは社会はその存在を許すわけにはいかない。西松建設の経営陣は総退陣し社会に許容される企業として再生されるべきだろうと思う。トップの不祥事で経営が立ちゆかなくなり離職する従業員が出るようになることではあまりにも従業員とその家族が可哀相だ。

本題に戻ろう。

断片的に伝えられる西松建設からの偽装献金と小沢氏の政治団体の資産形成の事実を知って両者ともこれほどまでに金まみれにならなければならない理由は何だろうと思うのだが。西松建設は単純に大型公共事業が欲しかったので政界工作をしたと思われる。その一つが胆沢ダム工事なのだろう。一方小沢氏の政治団体は政治資金とは関係ない不動産を資産に持ち資産を増やす必要があったのだろうか。政治団体の資産とはいえ登記は小沢氏本人だそうだから個人資産である。言ってしまえば企業が寄付する政治資金も国が助成する政党交付金も個人資産に化けてしまうことがオカシイのである。政界引退した暁には資産を処分し老後の生活の糧にでもするつもりなのだろうか。凡人の私には何十億という不動産を持つのはそんなことしか思い浮かばない。こんなものは不当利得として国家が没収するべきだと思うがどうだろう。そういう法律がないと諦めるのか。私服を肥やすと批判されても彼の論理からすれば合法的な範囲で蓄財しているとでも言うのだろうがわる知恵を働かせるよりもっと国家社会のために知恵を働かせるべきだろうに。支持してきた周囲の人はそれでも党首として彼をかばうのだろうか。だとすれば次は政党執行部のモラルが問われる番だ。早晩擁護する者や批判する者そして居たたまれなく離れて行く者も出るのだろうが総選挙前には解党的な液状化現象が起こり分裂して行くのかも知れない。壊れそうで壊れない与党自民党も困ったものだがもしかして自壊して行くかもしれない野党第一党民主党も困ったものだ。有権者は漂流することになりそうだ。日本の将来が危うい。やはり第三極がコアになり新政権を作ることを夢見てしまうがその夢が夢で終われば本当に政治は立ち直れなくなってしまうのではないのか。政治不信が増幅されて行く方には行って欲しくはないのだが。どうなるのだろう。

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2008年11月24日 (月)

知る権利と知らせる義務を歪曲していないか

先週起きた連続殺人事件も容疑者が自首してテロではないのかという不安は消えた。無念にも凶刃に倒れたご夫妻親族の方々には心よりお悔やみを申し上げます。テレビのチャネルを変えても毎日各局同じ事件報道。それも朝から晩まで各局ワイドショウを独占した感のある事件が発生した。誠に慚愧に堪えない。

報道を見ていると例によって殺人容疑者の身辺をいろいろ取材し人物像を描こうとしている。いつものパターンだがいつもそのたびに違和感を覚える。事件当事者のプライバシーが暴かれる点どうなのだろうかと思ってしまう。毎日毎日刻銘に報道される当事者の身辺。行きすぎの感を覚える。小学生・中学生の頃の人柄や高校時代の生活態度そのうえ大学中退していることなど知る必要のないことだ。何故そんなに個人の身辺事情を報道しなければならないのだろう。視聴者の興味に応えるためだと言うのだろうか。だとするならば百歩譲っても視聴者に興味を触発させることでワイドショーに釘付けしたいため意図的に番組を作ってはいないのかと言っておこう。捜査機関が状況把握のために身辺状況を洗い出すのは判るのだが衆目にさらすようなことはない。

容疑者といえどもプライバシーはあるし被害者側遺族にとっても取り上げ方によっては悲しみの上に追い打ちをかけることになりかねない。真実を伝えると言うことと洗いざらい知っていることを画像で流すと言うことにはならないだろうと思うのだが。勿論報道側には企業としての倫理があるだろうから無制限ではないはずだ。犯罪は社会正義に反する行為であり殺人はもっとも憎むべき社会正義に反する行為だと皆思っている。だとしても視聴者の知る権利とメディア側の知らせる義務と個人のプライバシー保護との関係には一定のルールがあってしかるべきである。規範が緩んでいるのではないのかと思ってしまうのだが。視聴率をあげ企業利益を得るためにコンプライアンスを軽視していては企業存続の基盤が損なわれることになる。行き過ぎた商業主義の風潮は断たなければならないと思うのだが。

今回の事件はかっての厚労省次官をねらい打ちにした。他人の命を奪って自己の欲望を果たす。自己の鬱積した欲求不満のはけ口のためにターゲットとしたきらいがあるがたまったものではない。被害にあった方と犯罪に因果関係があるとは思えないのだがこうした無差別殺人に近い事件は拡散する一方なのにはメディアの報道姿勢にも責任なしとは言えないだろう。番組作成者の言い分も併せて報道して欲しいものだ。視聴者の一人としてそのことも知る権利があるといっておきたい。

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2008年9月28日 (日)

全く理解できない仕事のやり方

政府与党は「後期高齢者医療制度」については骨格を変えずに運用を見直すという。報道番組を見ていて思うのは高齢者にとって良かれと思って作った保険制度とさかんに言い訳している姿がみっともないことだ。白々しく聞こえて来るのです。後期高齢者という言葉に説得力がない。医療費がカサム年齢は統計上75歳以上と言うが本当だろうか?どうも信じがたい。75歳は線引きするにちょうどの数値のようで本当は70歳でも80歳でも理屈はどうにでもつくのではないのかと思ってしまう。恣意的に引かれたラインなのだろうと思ってしまう。そうでないというのならきちんと説明して欲しいものだ。

前回も同じことを言いました。健康である75歳以上の方も多い。また逆に病院が頼りの75歳以上の方がおられるのも事実。年齢で区切られ新たな保健制度と言われても病気せず健康でこられた方にとってはたまらない侮辱だろう。若いときにさんざん健康保険料を払い続けてきたのに突然75歳になったら別枠でまた保険料を払えと言うのは。今の若い世代だっていずれこの年齢になることを思うと世代間の不公平感を解消するものと言う説明もなにやら不可解なのではないだろうか。現役世代が4割負担すると言うがこれも健康保険組合の財政を圧迫している。この拠出金はけっこう保険組合には重荷で収支は赤字になるという。結局健康保険料の値上げをせざるを得ないそうだ。そんな中大手企業某保険組合は解散してしまい当時大きく報道されたことも思い出す。健康保険料として徴収される個人負担も会社負担も労使双方にとって負担感が大きいと言うことは事実。

社会保険料控除で所得から控除していると言うが所得税の課税非課税の問題ではない。年々高齢化が進むのだから小手先の対処療法的なやり方では現役にも高齢者にも負担が重くのしかかってくるのは明らかである。社会保障制度を維持できる新たな徴税の仕組みを作って広く薄く負担することで世代も関係なく医療費を使う使わないも関係なく負担する税制を入れて財政力を強化しない限り問題解決は難しいのではないだろうか。

ある与党幹部によるとこの制度は10年もの長い間議論してきた問題だと言っていた。ならば議論の過程をオープンにして国民に知らせるべきだったのではないのか。内々でいくら議論しても民意から乖離している議論をしていては空理空論と言わざるを得ない。厚労省の方々は仕事のやり方が下手だ。と言うより国民の方を向いて議論はするけれど国民と同じ側にたって仕事をしていないと言うことだ。このことは何も厚労省に限ったことではない。今騒がれている食の安全に関しても農水省の仕事のやり方も同じだ。

こうしてみると国家行政組織の仕事の仕方は間違っていると言わざるを得ない。監督して監視する役割を持つ国会議員は果たしてその役割を全うしていると言えるだろうか。政治の役割に厳しい目を注ぐ必要がある。少なくとも衆議院解散が目前と言われる今スローガンだけではなくしっかりとしたマニフェストを示しその実行を約束してもらわねば。役割果たせぬ場合は辞職することを条件とせざるを得ない。約束せぬものは支持しないという位の厳しさで臨むしかあるまい。与党にも野党にも。開会中何もせぬ議員などいらぬ。

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2008年5月21日 (水)

年齢で括ることの不合理

2ヶ月前ここで後期高齢者医療制度にふれ制度そのものの考え方について批判をしました。当時この様な社会問題にまで発展するとは思いもよらず今になって多くの方々には降ってわいたような制度を支持していないことが判りました。

現在政府与党は修正だと言い野党は凍結だとか廃止だとか言っておりマスコミが毎日のようにこの話題を取り上げております。再度国民の一人としてこの制度に絡む事柄について私見を申し上げます。

まず医療費削減が目的なら小手先ではなく医療制度が福祉政策としてどうあるべきなのかを国民に問うのが最初だろうと申し上げたいと思います。掛け違えたボタン論ではなくそもそもあるべきか否やから議論をするべきでその点から言って民主党が主張する廃止には筋が通っていると思われます。

「後期高齢者」というネーミングに象徴される制度の設計思想には大きな疑問があります。あわてて「長寿医療制度」と呼びかえてみてもかえってウサン臭さだけが残ってしまいいくら高邁な論理を展開してもとどのつまりは医療費削減だけが眼目と見えてしまいます。私の目には医療や介護と言われる福祉政策はどうあるべきかの国民的コンセンサスを得ないままに行政が小賢しく制度変更を強行したと見えるのです。

長い間会社に勤めて若い頃には社会保険で医療が受けられました。現役を退いた後には国民健康保険で医療サービスが受けられると信じてきました。ところが財政に余裕がない今聖域なき歳出削減を旗印に改革のオンパレード。厚生労働省も今回の制度を作り出してきたのでしょうが75歳から国民健康保険を強制脱退するのかがどうしても理解できません。確かに高齢になると病気発症の率は高くなる傾向にあるのでしょうが医療費の多寡は高齢者だけの問題ではないはず。75歳以上と括って隔離したと思われてもやむを得ないのです。この仕分けした上に後期高齢者と言う「後期」というネーミングが末期に近いイメージを増長させました。未だ前期高齢者でない自分でもおかしなネーミングだなあと思いました。名は体を表すと言いますが官僚の作文的な発想からはこのような呼び名しか発想できないのだろうと思います。現場を知らず高齢者の心に思いも寄せぬ血の通わぬこととはこういうことです。

仮に百歩譲って高齢者の医療費は各世代の医療費に占める割合が大きいとしてもそのことをコストカットとして問題視すること自体がナンセンスです。長生きすると言うことはそれに伴い経費がかさむものそういうものなのですです。それだけのコスト高リスクがあると言うことでそのリスク回避には別の手段で対応すべきものと考えます。どうしたなら生き甲斐をもって社会と関わり生産的な生活が送れるようになるのか。健康を維持して罹病しないで済む生活をすることが出来るようになるのかを考えて国家的事業として取り組むべきです。高齢者活用をせず社会から切り離し老人とレッテルを貼り邪魔者扱いすることは止めるべきです。

老人と言っても若い頃私たち世代を養い現在の日本社会の中心になり土台となって役目を終えた方々です。戦前戦後の激動期にご苦労された方々に失礼千万である思うのは私だけでしょうか。礼を欠くことだと言っても多くの方には異論がないと思います。

先に年齢で括ることの不合理について申し上げました。元氣に生活をしているお年寄りも病気通院でかなりの医療費を使うお年寄りもほぼ一律に近い保険料を徴収することに無理があるのではないでしょうか。75歳以上の高齢者から保険料を徴収する相互保険ですか。罹病率が高ければ保険料が高くなるのは設計上当たり前で国が50%負担、現役世代が40%負担、該当する75歳以上は10%の負担だそうですがならば現在の国民健康保険と同じでしょう。問題はその運用にかなりの制約制限があることです。そのことが受益者の利益を後退させたと思われるしくみになってしまったことです。そのうえ痛みを感じろと言いますが暴言の極み。やはり本音は医療費削減をしたかったからこの様な制度を考えたと言っているのと同じこと。

健康に生活されるお年寄りには医療費使わず「何よりのこと」とご褒美に保険料負担はなしにするべきではないかという議論だって成り立ちます。元々保険を使わず国の医療費を使わないのだから健康に暮らすお年寄りからいただくのはいかがなものかと思ってしまいます。相互保険ではなく受益者負担として制度の恩恵を受ける方に保険料を負担していただくことにしても経済的につらい方もあれば負担してもなおかつ余裕のある所得格差を思えば一律同額に近い保険料にも問題があります。高額所得者も年金しか収入がない人も保険料にはあまり差がない設計もかなり問題。新たに制度を入れるときに社会保障制度を言い皆保険と言って相互保険のような互助であるべき制度の根本にふれないのかその説明もなし。国民の意識形成もないまま与党が数を頼んで法律を通したがゆえの国民の多くは制度そのものを認識しないまま仕組みの中に追い込まれたことに不信不満を抱いているのが実態。そして色々な疑問が噴出しているのです。制度運用の合理的な納得性があるなら利用するお年寄りも納得されるでしょう。

今国会も終盤3分の2条項を使い何でも通してしまう独善的政治の犠牲になるのはご免です。国民目線に立たず官僚の描いた政策を強行して修正しようともしないこの意識は民意から遠く捩れっぱなしです。このねじれ現象を認識しない政治家が政治をすることに不孝の本質があると言っておきたいと思います。政治家も官僚もある種の盲目的思考に陥っている要因の一つに平均にものを見て思考する誤りに気がついていないことがあげられます。平均の意味がわかっていても平均値のウラに隠れている具体的な個別事象に目をやり運用上の不合理がどの程度のものかの認識をしなければ生きた政治生きた行政にならないのは当たり前です。制度運用上ボーダーラインの下に位置する国民がどのようなことになるのか検証もせず切り捨てられる発想は過去から幾度となく繰り返されてきました。もうこのような乱暴なやり方は止めにしていただきたい。制度変更によって国民が痛む政治ダメです。痛みは真っ先に政治家や官僚が負うべきでその意味からも政治改革や公務員改革をうやむやのまま国民の生活に希望を見いださせない制度には納得出来るはづがありません。聴聞に時間をかけ民意を形成したうえで与野党合意の上で成立させるべきでした。

過去の手続きはともかくも国民の反発を招いていることは確かです。誤りが判った以上法律を廃止して福祉政策と財政負担や税金配分など総合的一体化して見直す必要があるでしょう。その際忘れてはならないのは増税ありきではなく小さな政府小さな地方自治をもとに憲法で保障された国民の生活が持続的に保障するにはどうするのかというあるべき姿を描いて示す必要があります。

限られた歳入の中ではまず最優先で政治家自ら血を流してという意味では国会をはじめとして地方議会も定数削減をすることは不可避です。また国会においては参議院無用論などという暴言に振り回される事なきよう政策決定の機能についてもしっかりとした議会の位置づけを示して欲しいものです。さらには天下り禁止とする公務員制度の改革も必須です。また国家と地方に重複する二階建て三階建ての行政組織も機能重複では問題です。国の出先機関が自治体と重複しては人件費の無駄であるばかりか権力をもち上級組織支配の構図を壊さなければ自立した行政など望めなく地方行政の意志決定のあり方を考えても大問題です。行政のスリム化には事業の民営化も手段として有効でしょう。地方自治については分権と広域で運営される行政「道州制」も改革案のも視野に入れ新しい行政組織に変革するべきです。

改革とはまさしく明治以降から続いてきた官僚政治を改めることでありそれは現代かかえる多様な課題に対応できる仕組みに変えることでもあります。前近代的な政官業の癒着構造にメスを入れることも特定のものが利権に絡んで国を食い物にするような卑しい行為の温床を絶つには必要なこと。ともかくも徹底して国民の前に情報開示して国民の批判を浴びて行く中で生きた政治も有効な行政も作られると信じたいと思います。

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2008年4月18日 (金)

行政が主役だと思っているふしがある

どうも行政が主役だと思っているふしがある。どこかで「政治なんていちいち世間の声を聞いていたのではできない」という趣旨の発言をしていた。

新聞を見ていると「暫定税率復活42知事賛成」の見出しが目に入った。その上一般財源化に反対という知事は11知事。北海道・茨城・東京・長野・岐阜・兵庫・奈良・愛媛・長崎・熊本・沖縄である。奇しくも前言の主も暫定税率復活賛成で一般財源化は反対だという。同じ調査を先に行った世論調査では暫定税率復活賛成が27%で反対は57%だったという。民意とのねじれは国会とだけではなく地方行政との間にもある。

今の政治家や官僚の意志は民意とかなりかけ離れていて捩れっぱなし。政治のねじれは解散総選挙で信を問えば是正も可能だろう。行政の意思決定を覆すのにはリコールぐらいしか手段がないけれど行政に対して積極的に向かうほどのエネルギーがあるとは思えない。というよりもその行為に至る手段を有効にする人的ネットワークや情報の共有ができていないので結束できなということだろうと思う。一部のオンブズマンくらいしかリコールなどの実力行使するようなエネルギーになりがたい。いままで行政は情報を一般住民へ知らせるなどと言うことはしてこなかった。広報のたぐいでは詳細は知り得ないのだけれど積極的に情報開示することはなかった。いやある部分では意図的に知らせなかった。そのようなことをする必要はないという前提があってそれが当たり前という感覚でいる。この実態は国政においても地方自治でも全く同じだ。

民意の反映は本来国会議員や各自治体の議員が有権者を代表して代弁しなければならないのだけれどもそういう議員は少数派だろう。たいていは議員を職業としていて自らの生活維持のためには限られた支持者と称する側に立った活動をするだけだ。広く行政の監視や法律行為などは二の次三の次なのが実態だ。行政側の用意した議案に対してどう対応するのか腐心するだけで自らが行政側に働きかけて政策を実現するなどとはほど遠い存在と見える。ある程度行政側の力を借りないと政策も作れないこともあるかもしれない。官僚の都合の良い政策を丸投げしてしまう下地はそこにある。寄りかかる方が楽なのである。じつはは行政の思い上がりはそこが出発点ではないのか。議員先生も官僚ペースで物事を進めることで利権を得る機会ができる。官僚は甘い汁を少し分けることで大きな利権を温存し行政組織が生き残れることを目論む。政官の癒着はこうした相互互恵で成り立ってきた。官僚は利権を温存するのが第一の命題であって民意とは無縁である。既得権益の温存は組織防衛であり改革や変化によって彼らの生活基盤を失わないための抵抗と言われるが内向きの論理たるゆえんであるが彼らにとっては正当なのだろう。官僚に都合の良いことは一般住民には不都合なことが多いいからできるだけ情報は開示したくない。官僚ペースで物事を進めるためには民意に即していては何もできずとの発言もそんな心底が見えるのだが。

一方政治家も末端まで出向き住民の実態を把握し政策に生かしていると言うのならまだしも机上の論理を振りかざしあたかもそれが普遍的なものであるような物言いをする。そして有権者の代弁者だったはずの議員たちが一斉に官僚の代弁者になってしまう。これでは有権者に対して二枚舌的背信であり騙しの何ものでもない。

最近政府与党も地方首長も大声あげてガソリン税を暫定税率維持しないと行政執行に穴が空くといって大騒ぎしている。暫定税率維持賛成を言う県知事は現在の仕組みを改めるべく苦しい選択は嫌だといっているように聞こえてくる。民意はもう箱物行政に象徴される土建自治にはノーといっているのに国と地方一体となって過去からの既得権益を失いたくないと叫んでいるように聞こえる。

与党は再値上げのためのスケジュール闘争に入ったようだ。このまま民意を押し切れると思っているらしいが思い上がりも甚だしい。政治家や官僚が主役ではなく国民住民が主役だと言うことを覆すつもりらしいがそううまくことは運ばないことを思い知らせてやりたいのだが。

早く解散総選挙をして欲しいという気持ちになってきた。既成政党の枠を超えた新しい政治勢力を結集できないものだろうか。今までのすべてを壊してガラガラポン。リセットしたい気分。

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2008年4月 3日 (木)

事業のあり方を変えるための序章

国家事業のあり方を変えるための序章であって欲しいと思って見てきました。

法律が失効して減税になりました。4月になって各局とも毎日このニュースであふれていますね。

政府与党は財源を失うことによる混乱を声高に言いますが道路財源ばかりか地方に振り向ける財源も細ってしまうことで今までのように出来ないのが混乱というのでしょうか。どうも地方が国に依存している現在その面は否定できないと思います。しかし単純にそう言い切れないものがあるように思えて仕方がありません。一般財源化しても事業は出来ることですし現実に暫定分の歳入欠損が生じたわけですから優先度の低い土木事業は停止せざるを得ないでしょう。当然歳入欠損によって今まで通りの事業が出来なくなりそのしわ寄せは土建業者が一番打撃を受けるはずです。そこで生活する人達をリストラする前にセフティーネットを用意してある程度の激変緩和の手は打つべきでしょう。臨時の救済措置をすればよいのであって恒久的に手をさしのべる必要はありません。物事が変化するときはそれによるリアクションは必ずあるのですからそのフォローさえ出来ればよいことです。これは別に構造的な部分に対する改革とは矛盾するものではないと思います。一般財源化により監視の目がきつくなると世間の批判にさらされて事業がやりづらくなると言うことになります。このことは国民にとっては今までより実態が見えるようになり批判出来るという点では大変喜ばしいことです。この減税を機に変化の序章としてここからさらに構造的に温存されてきた特定財源の問題や官庁と特殊法人のあり方にも大鉈を振るう時になったのだと思います。

法律が失効した以上別の手だてをして財源を新たに求めるのではなく国の仕組みを変えて限りある税収に見合った事業執行に改めるべきだろうと思います。しかしながらこのような改革は行政にとって大変辛いことになるということになりますから彼らは本能的にそれ以上のことは各省庁にとって権益をそがれることに通じると言う危機感があるのでしょう。過去の体制を維持出来なくなり権益を失うのが嫌なので現状維持が最善と思うことは体制維持を考えると当然なのでしょ。ですが保険事業や医療そして教育など国民生活基盤である所に負担増を強いたり手当てできないようになったことに憤っているのでありこのままではたまらないと思っているのです。その意味では行政執行を監視し法律行為を怠ってきた政治についても問題ありと言わざるを得ません。政官がもたれ合ってそれぞれの組織を維持するための自己利益擁護では何のための政治家か公務員かということです。本末転倒であると言わざるを得ません。許されないことです。

今ここに至っては道路事業が今までどおり出来なくなったわけですから事業を縮小してゆくことをもっと念頭に置いて事業内容を吟味し最小限必要な事業にのみに税金を配分するしかないでしょう。政治家がそれをもとに戻すというのは政官癒着のうまみの構造を失いたくない既得権益を失いたくないということに等しいのです。このような政治家は国民にとってのいわゆる抵抗勢力なのです。国民はそこの所をシッカリと見ておかなければならないと思います。抵抗勢力を官からの癒着をやめさせ批判勢力になるよう世論形成して改革の胎動を止めさせるようなことのないように監視して行かなければならない責任もあります。

そればかりか国会の改革も視野に入れて仕事をしない議員は選ばないと言う選挙での意思表示も重要でしょう。行革も進まない今国交省の改革が公務員改革の導火線になることを期待したいです。

あまり政治的なことは言うつもりありませんが今問題なのはガソリン税の暫定税率の先にある道路財源という甘い蜜です。この蜜に政官財が群がって国土建設の名の下にジャブジャブ使ってきた。未だそうしたいと言う政府与党とそうじゃないもうそれは止めて疲弊した国民生活に潤いや安全安心のために必要な医療や年金教育など足元の問題に税金を使おうと言う民意との対決です。

長年維持してきた莫大な予算を持つ特別会計を一般財源にもどし国の事業を見える化することは重要なことで国民監視のもとに業務執行をするというごく当たり前な姿にするのがいけないわけがありません。その上で群がる省庁関連特殊法人の存在を根絶しないと財政破綻への道に行くだけで増税しかないということになりかねません。

今回の騒動は税収欠損と国家事業のあり方という意味では何も国交省だけではなく社保庁を持つ厚労省もその他の省庁も特別会計を持つ所は全部同じでこの際廃止の俎上にあげて群がる特殊法人にも大鉈を振るう時の始まりであると思って期待したいのですが。ここ1ヶ月が正念場のように思いますがどうなるでしょう。

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2008年3月16日 (日)

国民は生活が大変だというのに親方日の丸意識ではたまらない

ちょうど一週間前に「駐車場整備推進機構」と「海洋架橋・橋梁調査会」の2法人を2009年度中に解散することにしたとの報道に関連して特殊法人の身勝手な税金流用について批判をしました。その上で「何もしないより解散するとした点」を評価する旨言いました。しかしここに来て道路財源の私物化の規模の大きさに驚いてしまいました。

新聞によると「道路特定財源の支出先となっている国土交通省所管の50の公益法人のうち22法人が2006年度中に、職員旅行の費用として計約6900万円を支出していたことが、国交省の調査でわかった。」と報じられています。その内容については民放各社がテレビ番組で繰り返し報道している通りです。監督する立場の国土交通省「官房総務課」では使途の見直しをする必要があると言うような人ごとを言う。自らのOBを送り込む天下り先への監視などは総務省がすることとでも思っているのだろう。随意契約先でもある特殊法人は業務発注の関係から言って見て見ぬふりばかりかぐるになっていたとしか思えない。監督をを怠っていたのは仲間意識で何もせぬことが得策と考えていただろうな~ぁと勘ぐってしまう。

老齢化が進み老人世帯が増えて行く今年金収入で暮らす老人家庭は次々と続く諸物価高騰の中でとても窮屈な生活を強いられています。そこに四月からは75歳以上の高齢者は後期高齢者医療制度と言って国民健康保険の対象から外れ新たに保険料を納付し医療保険の適用を受けることになります。がその保険料は平均で月額6200円と言います。年金から強制的に徴収されると言いますから介護保険料を含め月額1万円を超える支出になります。今まで世帯単位で国民保険料を納付していたものが夫婦各自保険料を納付するのですから明らかに大幅な支出になることは間違いありません。それも強制的に年金から徴収すると言います。徴収側の論理はどうせ納付するのだから銀行口座引き落し手数料軽減のコスト削減(引き落とし手数料は金融機関の収益=国の経費負担になる)かつ納付者の物理的負担を軽減するための措置だと言います。社会保険料徴収のことは見えてきましたが所得税の社会保険料控除の仕組みについては全然見えてきません。当然全額控除対象なのでしょね~え。

今75歳以上の人と言えば昭和8年以前に生まれた方々で多くは敗戦の日本を背負ってきた方達。現在の日本経済に貢献してきた企業戦士も多いと思うと現役世代の行政担当者および法律を作った国会議員諸氏何という仕打ちをするのかと憤りがこみ上げてきます。現役を退いても社会保障制度の恩恵に浴せないのでは現役世代の国に対する意識も薄れることになる。若いとき働き稼いで納税しても老人になっても国は報いて切れないとの意識で納税意欲など出るわけがない。年金問題などは典型的な例だ。過去に何度制度改悪してきたか。その都度年金支給制限をして得るべき年金がどんどん少なくなって来たことは制度そのものの欠陥。60歳近くなるまで年金受領額がわからない制度なんてあること自体おかしいことでどうやって生活設計を考えるのかと言うことになりますが最近になって通知するようにするというのも遅きにしっした。

生涯生存する年齢が延び老齢者人口が増えている現在国の医療費負担が確実に増え続けて行くことに財政上の手を打たなければならないのは確かでしょう。しかしこのようなことは昨日今日突然起こったことではなく十年以上も前から人口動向の変化により将来予測していたこと。行政や立法府が早期から法制化の準備をして国民的関心事として世論形成し将来のあるべき姿を示すべき所をいたずらに時間を費やし無意味策のまま今にいたって小手先の対応と批判されることはいたしかたのないこと。今日まで何も手をうたずにいた無策の責任は行政と政治の責任。国民がその無策の犠牲になることはあってはならないこと。

ひるがえって75歳以上の老人世帯の方はじめ子供の扶養家族となっている老人世帯は確実に生活のための可処分所得が目減りすることになり生活を圧迫することになる。お年寄りや経済的に弱い世帯に対してもこのような乱暴な制度はあってはならない。あえて何らかの手当を必要とするとしても元氣に生活をしているお年寄りも病気通院でかなりの医療費を使うお年寄りも一律に保険料と言って徴収することに無理があるのでは。健康に生活されるお年寄りには「何よりのこと」とご褒美に保険料負担はなしにするべきでしょう。元々保険を使わず国の医療費を使わないのだから。疾病でかなり高額な治療負担を健康に暮らすお年寄りからいただくのはいかがなものか。受益者負担として制度の恩恵を受ける方に保険料を負担していただくことこそ基本的なことではないだろうか。その上で病気治療の必要なお年寄りには最低限の負担をお願いしたとしても年金収入のみ世帯のお年寄りの場合は保険料免除もなければ負担に耐えかねず家計を維持できなくなるとことも問題でしょう。どうも税収不足を保険料で賄おうとする下心が透けて見えてならない。制度運用の合理的な納得性があるなら制度利用するお年寄りにも納得いただけるものになるのでは。社会保障制度を言い皆保険と言って相互保険のような互助であるべきなのか制度利用が必要な人のための自助制度であるべきなのか国民の意識形成もないままかっての与党が数を頼んで法律を通したがゆえの疑問が噴出しているのです。

反対に議員年金で月額50万円超のような高額な年金対象の元議員は応分の高額保険料となるのは当然でしょう。年金のもとの一部は税金です。チョット乱暴な物言いだとわかって言いますが税金が入っている分の年金は還元していただかないことには腹の虫が収まらないと言う感情的な部分もありますね。ま現実的ではありませんがそのくらい一般庶民は無策だった行政やそれを監督し法律行為をしてこなかったことへの憤りが潜在的にあると言うことです。

期末をあと実質十日あまりとする頃に来ても国会は何の進展もなく対立し続けるばかり。不毛の時間消費を重ねるばかりでは何も期待できないことへのいらだちを何処に収めればよいのか。過去に厚労省の薬害・年金問題そして国交省の道路特定財源の流用など。さらなる過去にも問題されたグリーンピアのような構図が正されないまま温存されることにも看過できないとの思いで成り行きを見ていることを忘れないでほしい。

どうもこの国は行政の改革なしには改まらないと見ています。改革は当事者の公務員に出来るわけがなく議員がそのリーダーシップを取らなければならないのに抵抗勢力もけっこう多く反対している。そんな与党にはかなり懐疑的に見るようになってしまった。野党だけでは力量も不安だが一度任せてみるかと言う気にもなる。がしかし現在の既成政党では同根でそれほど期待できないと言うさめた目で見る気持ちもないわけではない。この上は第三極の政治集団がないといけないのではないだろうかとさえ思ってしまう。既成政党ではなく国民に国家改革の青写真を示してくれ実行してくれる政治集団の出現は夢だろうか。

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2008年3月 9日 (日)

法人解散と言うが            しないよりまし

日曜になるとテレビ(民放)各局が同じような報道番組を組む。チャネルを変えながら見ていると一週間の出来事を振り返り話題を放送するのですがその中に国土交通省の税金無駄使い暴露合戦がありました。繰り返し見るハメになるのですがおもしろさを通り越し不愉快になってしまいました。

そんな中「駐車場整備推進機構」と「海洋架橋・橋梁調査会」の2法人を2009年度中に解散することにしたと報道していました。道路財源として必要な税源の暫定税率維持に対しての国民の意識は高まる一方今週は遂に職員の慰安旅行費用が税金で賄われていたという公私混同も明るみに出たので急遽批判を和らげることを意図したとも勘ぐれるようなことなのですが・・・。慰安旅行するなとは言いません。普通民間ならば旅行積み立てをして組合い互助会や会社援助などもあれば良い方です。基本的には個人負担。誠にもって笑止千万。国の関連法人の人心は腐りきっている。何故なのか?答えは簡単。この組織は国土交通省の天下り先だから役員も職員も報酬や給料は国の税金で賄うことは当然と思っているのに違いありません。だから慰安旅行は福利厚生の一環なので全部丸抱えは当然という意識なのです。

公務員改革を言う声はありますが総論賛成各論反対でこの国の公務員は自ら改革をしようとしないばかりか既得権益を守るために反対しています。国の財政が疲弊いるというのにお膝元はなんと言うことなのか。盗人を飼っているようなものです。このような輩がエイリアンのように行政組織の中に巣くっていては腐る一方で破綻が見えてきます。ああ!いったいこの国は何処に行くのでしょうか。

政治も膠着状態。行政は役立たず。尻ぬぐいはいつも国民・・・もう出すものもない。年金を返してくれ!積み立てたのに目減りしてしまって損した。どんどん制度を変えてしまって厚生年金と国民年金統合したとき破綻寸前の年金資金を埋めたでしょう。こんどは共済年金も統合するですって・・・。また年金原資が薄まって目減りするに違いない。どうしてそんなにくるくる変える?のでしょうか。年金受給者は将来の希望が萎えてしまう。この国を背負って働いた人達にすることなのでしょうか。そんな中でも現職の特殊法人職員の方達役得とでも思っているのですか。

社会規範を崩しているのにいっこうにお構いなし。良いことはしない悪ことしても平気でうそぶく。批判すれば言訳をする。己の利のみを得ようとする卑しく醜いこの姿を見るにつけ組織解体は遅きにしっした。それでも何もしないよりましか。

方針を決めた以上実現するまで批判の声をあげて監視する必要があります。次の衆議院選挙では公務員改革をどのようにするのかの具体案を持たない候補は落としてしまおう。民意に反して行動しない議員はもういらない。政党助成金も返してもらおう!国会空転しながら意地の張り合いで歳費をもらえる議員達よ!あまりにも顔の皮が厚すぎないかい?恥を知っているのか。怒り!。

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2008年3月 7日 (金)

不作為も裁かれなければいけない時代

薬害エイズ被害について当時の厚生省は過失の責任は製薬会社にあり医療機関でもあると言ってきました。自らの行政監督責任はないと言うことです。ところが報道によれば最高裁が「行政の不作為」に新しい判断をしました。

いわゆる薬害エイズ事件で「業務上過失致死罪」について争われていた裁判で被告の元厚生省課長(66歳)は無罪を主張し一審・二審の判決を不服として最高裁に上告していました。これに対し最高裁は上告を棄却し「被告はエイズ対策の中心的立場にあり、薬事行政上、必要かつ十分な対応を図る義務があった」と判断したものです。

この判断に対してどのように考えるか。まずこの判決は当然のことと受け止めます。反面この結論を得るために要した期間にも多くの被害者が救済されず亡くなっていったことはあまりにも無慈悲と思い判断の遅さに疑問を抱きます。1985年に起訴され以来あしかけ23年の失われた時間は何を意味するのでしょうか?あまりにも時代のスピードを無視した裁判制度と言わなければなりません。現在の司法制度の最大の欠陥と言っても良いでしょう。このように時間がかかっても当たり前のことと考えているとしたらあまりにも国民感覚から遊離した意識であり論外です。この間被害救済もされず亡くなっていった国民は浮かばれません。実に悲しいことでいつもこのように行政執行の運用の悪さに泣かされ犠牲になるのは一般市民なのです。

次に考えなければならないことは公務員といえども「国民への奉仕者・・・主権者は国民」の立場からすれば国民の所得から得られた税金を適正に使わなかった。行政の運用に問題ありと言いたいと思います。なにか意図的に悪事をしたと言うことでなくとも当然業務執行としてなすべきことを行わなかったいわゆる「不作為」であってもその責めを負うのは当然なことです。国民の生命財産が損なわれることになる危険性があると言う意識がないことがおかしい。その意識があれば薬害被害に対する防止指導をしなければならない立場だったはずと思うのは誰もが思うことでしょう。そのような意識を持たずただ漫然と業務執行していたと言われても仕方のないことです。その誹りばかりか不作為についての責任をとるということも一般的な社会通念上からも当然のことです。

現在平成20年度予算案が参議院で審議されようとしているところですが衆議院での審議が不十分なまま議決したことは遺憾だと言って審議入できない状態にあります。こんな時に国土交通省関連特殊法人では道路特定財源を食い物にしたうえ職員旅行にも税金の支出がされていると言って批判の目で見られています。成すべきことを成さぬばかりか行ってはいけないことを平然とやってのけるこの感覚は時代錯誤も極まるとい言いたくなります。このような行為を行う組織は国にとどまらず地方行政機関の関連先でも行われているであろうことは容易に想像つきます。いま国の行政にだけ注目されていますが地方行政についてもシッカリ目を向けないとエイリアンのように行政組織に巣くった輩を壊滅させない限り日本の将来は活力を失い衰退して行くことになるかも知れません。

特殊法人だといえども税金で賄われる以上公務員と同様の責任を問うことで関係者の明確な処分を見たいものです。

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2008年2月26日 (火)

計画に無理があるから修正すべし

道路財源を確保し続ける為の仕組みである道路特定財源は「道路整備費の財源等の特例に関する法律」によって「揮発油税収入の全額を号路整備の財源に充てる」(平成203月まで)ことと「地方道路整備臨時交付金制度関する」こと(平成203月まで)などが決められている根拠法です。また揮発油税の税率は「特別措置法」によって平成15年から5年間の暫定措置と決められておりますので現行税率の適用は平成203月まで終わりになります。そこで道路財源確保のために政府は今国会で審議している「特別措置法」を平成20年度予算と共に会期末までに可決させ暫定税率を10年間維持させたいともくろんでいます。いま衆議院予算委員会で議論されておりますがどうも最初から道路事業継続の計画路線工事ありきのように見えます。というのは国会質疑でも色々やりとりされているように計画実行の優先順位や事業規模の見直しさらには工法の再検討など細部に亘っての詰めがなされずにいわゆる「どんぶり勘定」的な色合いが強いように感じます。

与党が衆参圧倒的多数をもって決議されてきた今年度以前の予算審議は形式的に行われ十分に議論を尽くし国民に説明して来たとは言い難いと言って良く衆参ねじれのもとで行われる今年度予算審議は参議院にて否決される要素をもった初めての国会なのでその成り行きに注目をしているところです。従来のように多数を持つ与党と何でも反対を唱える野党の対立のあげく強行採決で決めて来た手法はもはや通じないわけですからよくよく話し合い妥協点を見いださなければ国会そのものが疑問視されるばかりか政党や国会議員の存在にも疑問が投げかけられることになります。妥協のその中身は党利党略ではなく真に国民生活にとって有用なのかそして費用対効果がどうなのかを考慮したうえでの妥協でなければ本末転倒ということになります。

新聞報道によりますと「国の道路整備計画は大まかな総額を示すもので個別の整備箇所は毎年度の予算で決めてきた。中期計画も具体的な箇所付けはされていない」ものらしい。そう聞くと当然のことだろうと思うのは私だけではないと思う。技術革新の進歩のスピードの早い今日そもそも10年も5年もの先を見通し予算化できる方法があったら教えてほしいものだ。中期計画を従来の延長線上で作成した予算案の中身など根拠を示すことなど到底できないことだろう。そんなあいまいな道路整備計画を予算化して国会を通るなどと考えている政府与党ならびに官僚は大きな誤りを犯したといってよいだろう。今までは政府与党で決めればなんでも通っていた。今回もそうなると思っていたに違いない。政府は従来手法では通じない時代になったとの認識はなかった?だとすれば官僚の筋書きの甘さも頷ける。戦後60年この国の政官一体で築いて来た国家はぼろぼろだ。ほころびなどという次元では済まされない。翻弄させられるのはいつも国民でたまったものではない。このような官僚に差配される国家はもう止めにして貰いたい。国破れて山河ありではなく国土交通省栄えて国民泣くとなってしまう。

今日のように世界中が常に変化しているときに常識的に考えて民間企業ならば長期計画はとても作れないはずだしせいぜい中期計画でも最長5カ年計画だろう。現実的には3カ年計画というところだろうか。それでも毎年度3年後の計画数値は修正せざるを得ないのが現実であるはず。百歩譲ってあえて10年ものスパンで何かの旗印が必要だとするならばそれは民間で言えば企業ビジョンとでも言うものだろう。だから道路整備計画を言うのならばこの国が将来どのような国家として存続するかの姿(ビジョン)を国民に示しそのビジョン実現の為に行われる計画であるならば国民も納得するだろう。そうすれば後は計画実現のための手段方法を考えればよい。それを年度計画に盛り付けたものが予算となるわけでありしっかりと事業の優先度を明示して箇所付けも当然行われての予算となるはずだろうに。

ここにきて政府与党は衆議院の多数をもって審議打ち切り採決としたいといっている。その背景には参議院で否決されても再可決するためのスケジュール確保という意図がありありである。それは待ったである。なぜならば世論調査でも明らかなように暫定税率廃止を望む国民とは反対のことをしようとしているのに道路事業根拠の説明に合理性が見えてこないことにある。民意に反した政策を行うなどはもはや政府は国益ではなく官僚組織や党利自己保身のために行うとしか思えない。それでも強行採決で国会を乗り切ったとしても次の衆議院選挙ではもう支持されないことを念頭にやればよい。強行するなら自らの墓を掘ることになる。

いまとなっては議論を尽くして政策の合理性を国民に説明を果たすためには時間が足りないだろう。道路整備計画の大幅な見直しなしには現行特別措置法は時間切れでもやむを得ないと言いたいのだが関連日切れ法案も道連れになるのが切ない。この上は一年間の期限付きで特別措置法を通す代わりに通年国会として道路整備計画の見直し議論を行うことにしてはどうだろうか。行政改革や税制改革も含め議論しマニフェストを示し衆議院選挙で国民の審判を受けるのが良いと思うのだが。いずれにしろ無理を通せば道理が引っ込む。議会という内輪の論理で突っ走らず計画見直しして民意に応えてくれることを強く望みたい。

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2008年2月 8日 (金)

認識の違いは危機意識の差か

危機意識の欠如というのかそこまでは言いすぎだとしても意識が希薄と誰もが思うことが続く。事件があってからもう一週間たった毒入り餃子の話は民間のリスク管理の脆弱さを示した典型例。それに対し無関心な食品メーカーと販売業者。行政も手ぬるい。そして必ず犠牲者が出て大騒ぎする。この体質は改めなければ第二第三の毒入り食品が出る危険性があると言うことだ。食の安全については呆れるほど意識が希薄な今の日本国。今更ながらに行政のほころびが蔓延している世の中に身を置かなければならないことに怒りを通り越し情けなさで空しい。

以前ここでリスクについて少し触れたことがあったけれど誰一人として今なおそのことを取り上げないのが不思議である。行政や議会そして政府も国家のリスクとはなんぞやと問い直す必要があろうと思うのだが。悲しいかな昨日の衆議院予算委員会質疑を聞いていて心底嘆かわしくなった。

20年前の四全総道路計画を金科玉条の如く錦の御旗に掲げて道路財源のための暫定藝率維持を必死で言うあの内閣の閣僚達の答弁には奇々怪々の思いで聞いてしまった。総理も国土交通大臣も道路建設には長い時間がいるから計画未達の分をあと10年かけて作るのだと言う意味にとれる言訳をする。財務大臣に至っては埋蔵金の意味を辞書でしらべ意味を解説する始末。民主党の岡田議員に対しての答弁は彼の本質をとらえた質問からすると稚拙すぎて議論になっていなかった。もっと本質の議論それも高邁な言い争いが聞きたかった。

本題に入ろう。

岡田議員の言うように二十年前と現在では国を取り巻くあらゆる環境がかわりそれも大変厳しい客観情勢になっている。にもかかわらず国家の道路計画だけは20年まえと同じでは時代遅れのそしりを免れないのは当然。そのような国家ビジョンもないまま官僚の作文をいかにも正当であるが如く国家予算に盛り正当化しているのではあまりにもズレていると言われてもやむを得ないだろう。統治意識が希薄で国家統治の体をなしていないとうことになってしまう。国家行政の最高責任者である内閣総理大臣が環境の変化に対応しないいやしようとする意識のないというのはもう最高責任者たる責任を果たさないと見られても文句は言えないだろう。世界中が変わっている。日本の国内だって変わっている。国の変革の担い手であるべき人がその使命を取り違えている。皆失望するのは当たり前でだから株価が下がる一因をつくってしまったのだともいえるだろう。道路建設に群がる一部の議員達は道路なくては票田を失うことはよくわかる。国家予算が付かなければ地方財政も苦しくなるのもわかる。だが良く考えなさいよ。大阪府知事に就任した橋下知事は就任早々「財政非常事態宣言」をした。国だって同じだろう借金だらけで赤字が年々ふくらんで行くときに財政健全化と行って数年前の減税分を吹っ飛ばしなおかつ医療や介護で国民の負担を強いているに「何故道路財源だけ特別扱いなんだ!ョ」。この計画はおかしいぞ!って誰だってそういうだろう。その意識がまともで健全だ。なのに真摯にもの申す岡田議員に危機意識の共有が出来ない発言では志の低い人達だな~ぁ。自己の体制を守ろうと必死だな~あと映ってしまう。

前回議論する道を選び政争にするのはだめだと言いました。その意味では良い方向に流れ出したと思って論戦を楽しみにして期待していたら時間の経過と共に少しずつではあるが見えるようになった。願わくは強行採決などとならぬようきちんと国民の前に議論を見せて欲しいものと思う。野党も政局に持ち込まず正面から暫定税率の維持をもくろむ政府を糾弾して欲しい。そして世論の支持を得るよう大いに努力してもらいたい。

今のところ暫定税率維持ではなく道路目的だけ使うのはいけないという国民が多いはずだ。

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2008年1月30日 (水)

つなぎ法案今日一日の攻防

今日これからが徹底抗戦の戦いになるらしい。与党は日切れ法案が失効するのを繋ぐための法案を昨夜議員立法として衆議院に出した。今日中に衆議院を通過させるのだそうだ。これまた奇妙な話だ。それに対し野党は物理的抵抗も辞さない構えという。特に民主党は強行突破で何が何でも阻止と言っている。

ここでよく考えよう。仮に委員会も開けず審議阻止されてつなぎ法案が意味無いものになったとして国民生活はどうなるのか。その後色々な経緯があったにせよ20年度予算が成立すれば再び税率は元に戻る。果たしてこんなことで良いのだろうか。

やはり出された法案はしっかり日程をとって審議しその過程を国民に見せる方が主張の成否以上に重要なことだろうと思うのだが。従って野党の主張を通したいのであれば与党に妥協させるための譲歩も必要だろう。

いたずらに国会審議を空転させ結果元の木阿弥では批判を浴びるのは必至だ。

そこで話し合い決裂ならば衆議院通過やむなしと言うことなのだ。ただしここからが重要で国会開催期間中は十分に暫定税率の維持を必要とする根拠に対する説明やその批判を国民に見えるようにして審議を尽くして欲しいということだ。どちらの主張が通るにしても審議不十分で強行採決そして徹底抗戦では国民の怒りは収まらない。むしろこれからは参議院審議の過程で法案に修正を加えることも出来るのだし話し合いで解決することを願う。たとえば暫定税率10年維持を1年に限定するよう修正を迫ることも一案だろう。今暫定税率廃止を支持する世論を見方につけた方が遙かに得策だろうと思う。

国民意識を正しく酌みとりよりましな妥協点を見いだす努力が必要だ。いたずらに政局にすることは避けるべきで野党としての役割は何でも反対では困る。政策実現を目指すなら連立の中にはいるか単独で政権を取るかしかないのだから。

新聞報道によると昨夜河野衆議院議長か話し合いによる打開を要請した後与党から審議に当たっての妥協案が提案されたようだ。①民主党が要求する租税特別法改正案から揮発油税などに関する部分などを分離して別法案にする。②予算案とガソリンの暫定税率維持部分の別法案について野党が年度内に採決するならつなぎ法案を提出しない③別法案の修正にも応じると言う内容だったらしい。これに対して民主党は「予算案を審議する前から採決を約束できない」としその案を拒否。4野党も幹事長・国対委員長会談で与党の提案には反対すると言うことで一致したという。

このような一連の報道を読みテレビニュースやそのほかの番組で知る限りどうしても現在の対立構図で自己実現を目指そうとする民主党の体質が気になる。

言われるように参議委員第一党の重みは従前の野党第一党とはその立場が異なるのだがどうも理解に苦しむ場面が多い。どうやら戦術として対立構図の中で政党の存在感を示したいと言うことに見えてくる。そうではないだろう。いかに与党が衆議院で多数をもって強行しようと話し合いで政策実現を得られる努力をするべきでその点の意識が希薄なのだろう。口では国民のためと言いながら対立しているだけではどうしようもない野党だ。もともと参議院で第一党になったのは与党の多数論理で政策決定されることに危機感をもった国民が批判票としてよりましな政党にと言う思いもあって多数を与えたのであって捩れたままで良いとは思っていない。

国民の生活や経済の混乱回避には予算案や税制関連法案の審議を通じて国民に自らの主張が見えるように行動する方が国民には理解されやすいだろう。法案審議を政局にしようとする戦術はもう過去の野党第一党時代で終わっているはずだと思いたい。

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2008年1月29日 (火)

醜い泥仕合になるか

国民のためと

言いながら既得権益に群がる自民公明

パフォーマンスに走る民主

本質を忘れては困る

私たちはこれから起こるであろう法案審議の様子や政治家のやり方を良く監視し次の選挙では欺瞞だらけの政争に走る議員には鉄槌を加えよう。

与野党共に糾弾しよう。

多くの国民が望むことをしない議員はもういらないと言うことだ。

政党は関係ない。

昨日の衆議院予算委員会でのやりとりを聞いていると補正予算の審議は軽く流し議論の中心はもっぱら20年度予算に盛られた「道路特定財源暫定税率」に関してのような印象を持った。委員会審議とは名ばりで一種の儀式のようなものなのだろうか?と言う疑問がわく。こうしたことは議運と称する与野党双方の議会運営の議員が合意し行うものらしい。どうやら補正予算は与党多数と一部の野党の合意を得て成立の見込みらしい。成立の暁はどのような議論があって合意に至ったのかつまびらかにして欲しいものだ。

限られた国会の日程の中与野党とも異議がないときは有効に機能する仕組みと思うが問題も多いのではないのか。国民にその課程が見えないのも内向きの論理に走るもとなのだろう。交渉過程がオープンになれば議運と称する国民不在のばかげた党利党略取引が無くなると思うのだが。過去何十年に亘って行われてきた議運政治と呼ばれる方法は見直す必要があるのではないだろうか。繰り返して言うが法案審議にいたる過程が見えず国民に分かりづらいという点だ。国民の代表を標榜するなら国会議員がその経緯の説明を果たすべきだが何故かそうしない。ならば法律の成否過程を審議だけでなく全てつまびらかにし国民の批反にさらすのが良い。国会議員の説明も無く国会審議も形式的では国民に見えないのは当たり前で納得性が低いのは当たり前である。そんな過去の慣習に則って平成20年予算案が議会に付議されたわけであるが状況が変わったのにもかかわらず依然と従来手法で国会通過を期待しているところに悲劇がある。

先の参議院選挙で民意は参議院においては野党に過半数の議席を与え捩れ国会となった。国民は従来の自公政権に対して批判票を投じ少なくとも衆議院でなんでも通ってしまうことにブレーキをかけさせたのだがその意味はよく話し合えと言うことだ。そして国民とって何が良いのかという一致点を求め法律決定して欲しいと言うことなのだが。枝葉末節重箱の隅を突っつくたぐいの揚げ足取りで相変わらず与野党対決の構図のままでは国民も怒りたくなるのは当然だろう。衆議院で自公与党が圧倒的過半数とはいえその民意は3年ほど前の民意であり近く衆院選挙を望むのはその変にある。だが与野党とも早期解散総選挙は避けたいらしい。しかしもう時間の問題である。仮に再び与党が多数をとることが出来たとしても今のような衆参ねじれ現象は6年間続くのであるから国会は民意に添って法案審議に時間をかけ議論を尽くすべきだろう。ところがである政府側は国民生活に必要な平成20年度予算案と言うがその中には決して看過してはならない法案があるのはご承知の通りだ。

いま世の中の話題になっている道路特定財源の確保のために「租税特別措置法」にある暫定税率を今後10年間税率維持しようとしている。豊かな国土作りのために道路建設を続け10年かけて国のインフラを整備したいからと言うことらしい。

その大儀はもっともなことなのだがいま民意は暫定税率維持ノーなことは世論調査で明らかである。厚生労働省による薬害の放置や国民年金の未払いや使い込みなど行政の不祥事重なって国民は国交省に対してもそんなに道路を造る必要があるかとか必要だとしても建設費が高くはないのかと疑問を持っているのだ。また作ってもあまり利用されず費用対効果が疑問視される道路も問題だと思っている。行政執行の責任が問われないままこれからも血税の垂れ流しはもうご免だという感情は大きい。国民を犠牲にしながらどうして行政の天下りが許され公務員だけが安泰なのかと言う不平も渦巻く。さらに言えば官僚の生計を維持するのに国民の税金を使うにしても基準が不明瞭であるばかりか世の中には受け入れがたいほどの著しく公平性を欠く賃金や福利厚生はどうなのか。税金を適正に使っているとは考えにくいと多くの人は考える。政治家と公務員は特別で特権階級だと言う前近代的な見方をする国民はいない。あれやこれや理由をつけもっともらしく税金を使うのは流用しすぎであってこれではたまらない。その典型が特殊法人に対する税金補助だ。そのうえ特殊法人子会社に血税が資産として温存させている。これらにメスを入れず事業執行予算がたりないと言って今回のように税率維持をするという矛盾に腹を立てているのだ。昨年の渡部行革大臣の孤軍奮闘は政府のパフォーマンスだったのか?大山鳴動してネズミ一匹も出てきやしないのにはみんなあきれかえっている。等々の感情が根底にあり行政不信が渦巻いているのにその疑問に今の政治が答えていないところに最大の問題がある。報道されているようにガソリンが25円安くなると言う次元の話では無い。本質は血税のでたらめな執行に頭に来ていて我慢ならないのだ。この際改めて出直せと言うことがわからない国会議員先生を問題視したい。

過去に幾度となく国交省(以前は建設省・運輸省)の汚職や官製談合が繰り返されてきた。そのつど再発防止を言うが効果はない。政官癒着の構図を改めそこに民間の誘惑が入り込む余地を与えないようにするべきを政官財のトライアングルを維持する仕組みは壊したくないと言うのだ。これでは経済3流政治○○流と言われてもしょうがない。許してきた国民も悪い。政治のリーダーシップで改革をして欲しいという国民の願いは届かないのが残念である。届いてはいるが無視しているとしたら次の選挙では支持されないのは当たり前である。今回の予算審議に当たってはまずはこのような批判に対してどうするのかしっかりと国民の納得を得た上での税率維持のお願いだろう。それもやらず法案年度末通過ぎりぎりのところでしゃにむに通そうとするのはいかがなものだろうか。民意に反し自公連立内閣は大きな誤りを犯そうとしている。民意の変化や時代の流れをくめず旧来手法で政治を操り国民の怒りや悲鳴に耳を傾けない。そればかりか自らの政党勢力温存を考えるばかりに民意と離れてしまっていることに気がつかない。こんな国会議員達はいらない。何故かというと国民を不幸にしているからだ。

今夕衆議院議長の勧告でよく話し合えと言われたが「国民のため」と言うもっとも曖昧な言葉を双方の都合の良いように解釈し妥協しようとしない。妥協なければ今夜つなぎ法案なるものが衆議院に付されることになるらしい。いよいよ混迷国会泥仕合の戦いが始まると思うと切ない。与党が禁じ手を使い何が何でもという姿勢はいただけない。やはりここは多くの国民が望むように一端本則に戻し必要な予算措置を改めて行うことの方が理解されやすいと思うのだがどうだろう。社会が混乱する混乱すると声高に言うがその責任は第一に与党にある。参議院選挙後の約一ヶ月に亘る空白。そして自衛隊による給油法の成立のために延長した国会。自ら日程を窮屈にしたことは知らないとはいえないはず。ここにいたって窮余の一策か。それ自体が失政のそしりを免れることは出来ないことを考えればあえて火中の栗拾わずして逃げるは政道にあるまじき奇策だろう。

ここまで来たからには与党は腹くくりしっかりと野党の言い分に耳傾け国民の思いを汲み誤りなきよう国政の舵取りをして欲しいものだ。勿論この際それ以外にも国民が不信に思っている行政のあり方を含め特別会計の中身を精査し国民の前に明らかにすることが大前提である。とうぜん公務員定数削減や議員定数削減そのほかに政党助成金のあり方を含め政務調査費などについて自らの襟を正してこそ拍手喝采。その上で改革改善を必要とする事柄を列挙し優先順位をつける。いつまでに結論を出すのか実行プランを示すと言うことだ。本則に戻すために予算措置出来ない部分にはそれこそ議員立法で年度内を限度とする救済措置法を手当てするなら痛みにも耐えよう。ゆがみを正すのに痛みは覚悟しなけrばならない。このようなプロセスを経て信頼回復の第一歩を踏み出せることになる。

このままの勢いで解散総選挙となったとしても改革の青写真もなくしては次の衆議院選挙で正しい判断が出来ない。もし改革改善を示せず従来選挙になるなら日本の改革は10年いや数十年遅れることになる。国民は政官癒着利権政治の犠牲者になると言うことを甘んじて受けなければならない不幸が続く。そうならないための足がかりをこの機会に見いだしてもらいたい。切に願うのみ。

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2007年10月14日 (日)

犯罪を告発するのは当然だ

犯罪を告発するのは当然だと前回ブログアップしたがテレビ局一部メディアの報道が興味本位なのは情けない。地方対国の争いと言うスタンスで報道するのはナンセンスだと思う。もっと本質に迫った報道なぜ出来ないのか。あの程度の報道なら週刊誌でよい。どうも昨今テレビ報道が大衆受けを狙い週刊誌化してしまった。その中にあって活字で訴求する新聞はそれなりの役割を果たしている。10月13日の読売新聞社説「甘い処分の総点検が必要だ」に同感である。社説を転載させていただく。

「犯罪を告発するのは当然である。しない方がおかしい。市区町村職員による年金保険料の横領事案のうち、厚生労働省は社会保険事務局長名で、まず宮城県大崎市(旧田尻町)の元職員を刑事告発した。時効前にもかかわらず、自治体が告発しようとしない事例がまだある。厚労省は、すべて粛々と告発してもらいたい。年金業務の信頼を回復するためにも、厳格な姿勢が必要だ。自治体職員による年金横領は全国調査で101件、2億4300万円に上る。このうち、自治体が警察に告発した事例はわずか18件しかない。時効の7年を過ぎていないのに、まだ告発されていない事例は、横領した本人が死亡しているケースを除いて8件あった。だが、舛添厚労相の要請に応じて告発したのは、東京都日野市だけだ。大崎市など7市町は、自らは告発しない、と言明している。告発を渋る自治体は、「懲戒免職処分で社会的制裁を受け、被害も弁済している」(大崎市)などとして、決着済みを強調する。おかしな言い訳だ。刑事訴訟法は、公務員が犯罪を見つけた時は告発しなければならない、と規定している。社会的制裁を斟酌(しんしゃく)して、不起訴にしたり、刑を軽くしたりするのは、検察官や裁判官が判断することである。行政が勝手に告発義務を放棄することは許されまい。告発しない自治体の首長は、職員や労働組合など、への配慮を優先しているからではないのか。さらに言えば、告発をかたくなに拒否するのは、今回あぶり出された年金保険料以外にも、税金や給付金などが横領され、告発しないまま済ませている案件があるからではないか。そう勘ぐられてもやむを得まい。宮城県の村井嘉浩知事は、告発しない大崎市の姿勢に理解を示し、「公金横領で処分された公務員は相当数いる。年金を着服した職員だけを抜き出して告発するのは難しい」などと発言している。ならば、これは年金にとどまる問題ではなかろう。国、地方を問わず、公金横領などの犯罪が告発されていない事例がどれほどあるのか、総点検が必要だ。弱腰の自治体に代わって、厚労省が告発に踏み切った。当たり前の対応だが、市区町村に対して強い態度を示す舛添厚労相と自治体の関係が、ぎくしゃくしているのは、なんともいただけない。今は余計な非難の応酬をしている時ではない。国と地方は、協力して年金記録の回復に全力を注いでもらいたい。(2007年10月13日2時7分 読売新聞)以上全文を掲載した。

ところでテレビ放映で物議をかもし出しているのがボクシング。犯罪ではないがルール違反はダメだ。もれ伝えられることが真実なら確信犯だ。スポーツの世界ではインテンショナルファールで退場となるものに等しいと思うのだが。最初のラウンドを見たが思わず「これは試合ではない!」と叫んでしまうほど尋常なものではなかった。ファイトマネー欲しさの形振りかまわない興行としか思えない。見たくもない興行を押し付けられたような気分で後味が悪くチャンネルを変えてしまった。後でスポーツ番組を見たが開いた口がふさがらない。レスリングまでした試合では茶番。最終ラウンドまで試合したのはスポンサーへの配慮か?あの時点で試合は没収だろう。判定で負けたのではない亀田の反則負けである。負け方まで偽装する風潮目にして呆れてしまった。食品業界が糾弾されているがあらゆる世界に蔓延しているのか?ここまで来たか社会の歪みと思うのは私の思いすぎだろうか。

コミッショナーがどう裁くかこの事件。ルール違反は裁かれなければいけない。当事者はいろいろ言っているが当分自粛するべきだろうに反省の色も見えない。興行収入が上がれば何をしても良い世言うわけには行かないだろう。

その点放映してきたテレビ局の責任も問われなければおかしい。いわゆる儲けのためにはなんでもありと言う体質である。一局の問題で片付けるのではなく業界全体で報道倫理の問題として検証してもらいたいものだが今後どう進展するか見守りたい。

話が前後したが年金搾取も裁かれるべきで今日本は社会規範が大きく緩んでしまい各界階層に蔓延している。やはり政治がしっかりとしていないとこういう社会になってしまうと言うことだろう。その点では舛添厚労大臣にはしっかりと国民目線に合わせて頑張っていただきたい。

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2007年10月 7日 (日)

年金保険料に絡む Ⅱ

社会保険庁や地方自治体での国民年金保険料徴収に絡む事件がいろいろ報道されている。

この件で他のブログで話題になり意見の交換があったが概ね皆さんの意見は「法治国家である日本社会において犯罪が裁かれずにいることは可笑しい」という意見だった。それを「組織防衛のためや自己保身のために行政がそれを黙認すること自体ありえないこと」と言う人もいた。

民間企業において社員が犯罪を起こした場合社内規定により処分して免職になることもあるが会社に多大な損害を与えた場合は会社が告訴するケースは新聞紙上やテレビで見聞きする。企業組織の防衛のため犯罪者を匿うということはありえないのである。

国民が納めるべき義務を負っている年金保険料を収受して国庫に入れず私したことは犯罪ではないとは誰も思わないだろう。法的制裁を免れかばう行為は身内の論理で国民や市民に向いていない証左であると言ってよい。身内をかばう前に犯罪行為を起こさないよう普段の教育をするべきなのだが公務員の場合はおそらく組織的に教育研修するなどと言うことは考えてもいないのであろう。ならば上司が業務を通じて日常的に教育するしかないのだがもとより部下の教育育成を上司の仕事などと考える風土さえないと思う。

ならばシステム的に窓口で金銭の授受をしないで済む方法をとればよいだけの事である。こんな簡単なことすら出来ない組織はダメ組織であり組織解体するより仕方が無い。

常識的に考えて金銭授受して預かった保険料を運用する事まで同一の組織で行う事自体不明朗極まりないと考えるべきで不正着服などの不祥事が起こって当たり前だろう。

逆説的に考えると預かった保険料を自らの裁量で自由にできる仕組みにしておく必要があったのだと言われても弁明の余地あるまい。

こうしたこと等考えれば業務監査をする組織がなければならないと思うのだが。現行体制では会計監査院の体制拡充してもらうしかないと思うのだがそれも限度あることだ。

やはり普通の納税システムのように保険料を金融機関に払い込むことで納付が完了する仕組みしかないだろう。

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2007年10月 5日 (金)

年金保険料に絡む Ⅰ

社会保険庁や地方自治体での国民年金保険料徴収に絡む事件がいろいろ報道されている。昨今の報道を聞たり見たりしていると疑問に思うことがある。

表面化した保険料搾取の件についての対応として二点疑問を指摘したい。第一点は処分問題で自治体ごとの判断が分かれていること。第二点は徴収窓口業務のシステムがおかしいこと。

最初に処分問題として法的に時効が成立していない案件9件に対し厚生労働省として該当自治体に告発を促したところ告発せずという自治体があると報道している。刑事訴訟法で言う告発の意思は誰でもおかしいと思ったら出来ると書いてあるそうだが知らなかった。あまり普段の生活には縁遠いこともある。無縁のものと言う感が強い。

ところはである公務員の場合は告発の義務が課されているというのも始めて知ったが当事者である公務員ならば当然周知していることなのではないのかと思うのだが。

驚いたことに大崎市長は厳正に処分して済んでいると言っている。本人は社会的制裁も受けているのだから告訴はしないと言っていた。何と不見識な市長だろう。大崎市民に対する背信行為である。市民の立場からすれば職員として職をまっとうするならいざ知らす納めた保険料をネコババしていたと聞いたら犯罪なのに目をつぶるのは可笑しいと言うに決まっている。悪いことしてバレタらお金を返してやめて償ったことになりますか。民事的な責任は取ったでしょうが刑事的な責任はとってない。それなのに首長たるもの自らの業務執行について犯罪者を組織の中においておきながら発覚した時点でそれを訴えないということは自らの職責を放棄することであると思う。

市民に不利益を与えかつ職責を全うしないのならば辞職して背信行為について責任を取るべきだろう。それとも前言撤回して訴訟を起こすかどうだろう。撤回は勇気のいることだが職務不履行といわれ汚名をさらすよりまだましだろう。さらに大崎市議会は何をしているのかと言うことになるし市民もこんな市長を置いておくのも恥ずかしいだろう。宮城県知事だって他人事か。訴訟起こせとなぜいえないのかはなはだ疑問である。

疑問に思う根底には不信感がある。この国は国家公務員も地方公務員も国民や市民が納めてくれる税金で食べているという意識が無いのが誤りの根元だと思っているが国民や市民のために仕事をしてやっているのだから税金で食わすのは当たり前だろうと思っているふしがある。今の報酬では不足で仕事に見合ってないとでも言うのだろうか。意識過剰で意識倒錯もはなはだしい。前例主義で改めようとせず犯罪行為の責任は取らずもとより不作為の責任も取らず組織の中でその居心地の良さに安穏としている。国民や市民の立場に立たず専ら自己防衛のために組織擁護に走る姿が見えてくる。こうしたことはもはや通用しないはずだがどうしても組織温存に動く公務員の生き方が不思議でならない。だから疑問にさえ思うし不信が先にたつ。

大阪の池田市も訴訟しないという立場のようだがその理由が振るっている。当時処分するに付いて伺い立てたら訴訟しないで良いと言われたから訴訟を起こさなかったと言っている。当時としては処分が済んでいるというのだ。開いた口がふさがらない。むしろ「訴訟しないと法的にまずいことになりますがそれでも良い」と仰るのですかと問いただすのが普通だろうに。もっともそんなに気の利いた職員はいなかったのだろう。何とレベルの低い話だろう。あきれてものが言えない。

報道で知るのも良いが行政執行について議事録を公開してそれをチェックする機関でも作らないと事後ではツーレートだ。国民も市民ももっと怒るべきだ。少なくとも不正義に対しては。

第二点は徴収システムの問題。この件は次回に。

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2007年10月 2日 (火)

瑕疵と品質責任どう考える

一昨年から昨年にかけて暖房器具や湯沸かし器事故による各メーカーがマスメディアを通して製品の回収や取り扱いの注意を呼びかけていたのをご存知でしようか。石油暖房機や湯沸かし器による死亡事故がかなりあって某家電メーカーなどは損益を無視してまでと思うような広報をしていたのは記憶あると思います。人命軽視の企業と言うイメージを嫌ってのことと容易に推察できます。

2月に「不作為は犯罪」と言うテーマでパロマ給湯器事故を取り上げました。リンナイの件も取り上げました。あまり知られていないと思いますが驚くことに過去20年に199人がガス事故で亡くなっています。そのうちナショナルとパロマで6割残りはパロマとノーリツで4割。ナショナルが企業イメージ悪化を嫌って膨大なキャンペーンをしたことは頷けます。これは過去のことはいえ起こした事故が人命に及ぶことから企業姿勢を問われるばかりか投資家に対する不信が業績悪化につながるという企業の危機意識が高いことの現れでしょう。

この業界に限らず最近では伊藤ハムの子会社が製品偽装していたことが明るみになり報道されたのは記憶に新しいことです。以前雪印乳業の偽装事件を教訓にしていればありえないこと。

いまだに偽装事件が出てくることの意味はどう見ればよいのでしょうか。それは簡単です。偽装と言うことに限らず日本のメーカー経営者は製品の品質と言うことに対しての認識が非常に軽いということなのです。その根底には内向きの論理で考える倫理観の低さが指摘されます。出来るだけ安い原料でつくりたくさん売れて儲かればよいと誰もが思います。が安い原料は粗悪品ということでは困るわけでとりわけ安全性についてはこれを担保してなければなりません。目に見えないところで品質をごまかしあたかも高品質のように見せかけるところに偽装の根元があります。

先にあげた湯沸かし器メーカーパロマは国内シェアよりも海外シェアナンバーワン企業だそうです。株式上場していれば国際基準を守らなければならないのですが驚いたことにパロマは未上場企業でしたから基準遵守義務を免れていたわけで論外です。市場の監視の目が届かないわけですからこのような企業のあり方は問題であるといえます。海外で企業活動する場合は国際企業であるが故企業不祥事は会社存亡の危機となります。

国際企業として海外投資家に投資をしてもらうためにはニューヨーク市場に上場します。この市場では先に起こした米国企業の不祥事エンロン事件以来企業犯罪防止体制に対して米国法の規制が厳しくなりました。日本企業も国際ルール基準をクリアーしないと上場できません。最近の東京市場の好況は海外投資家によるところ大で国際基準に違反する行為があれば投資家は株価下落を嫌って売りに出ます。だから国内で起こる不祥事は即株価に反映します。国際企業なるが故の法令順守は大命題なのです。

品質の問題は何も製品を作るメーカーだけの問題ではありません。品質の瑕疵と言う点からは製造者責任が問われます。品質と言う意味は広義にはその製品の流通に対しても製品の品質を確認して安全なものを消費者に提供するという意味合いで流通業者にしても間接的にその一端を担う姿勢が無いと問題になります。以前食品の偽装問題が起きた時に大手スーパーが一斉に商品の撤去をしました。これは流通業者が商品の品質(ここでは偽装)を確かめもせずに偽って売った責任を問われるからです。このように現在の社会は数年前とは品質に対する受け止め方が大きく変わりました。

話題がずいぶん飛びますが私が会員になっております某ブログコミュニティーサイトでこんなことが頻繁に起こります。 ブログの個人が書き込みをする際に開くページにアクセスしても記載してあるものが現れないためそれ以上なにも出来ない事象が頻繁に発生します。 管理者に問い合わせると以下の回答があり運営サイトの問題を使用者側の問題といわんばかりの言い方です。

以下に回答便お一部を紹介します。「たびたびご連絡ありがとうございます。しかし、お調べいたしましたところ、やはり弊社サーバー設備においてご申告の事象が発生するような障害は起こっておりません。以前も申し上げました通り、お客様専用に設けられております。個別のファイル構成において、読み込み不良や、一部ファイル欠損がありますと、ご申告のような状態になる事があります。今回、当○○○○○編集部にて、××××様のブログにおいて、上記の状態である事を確認した為、回復作業をさせて頂きました。尚、大変申し訳ございませんが、お客様の個別領域で発生する事象につきましては、弊社、監視センターの設備において能動的に検知する事が出来ないため、今後、再発した際は、下記方法をお試しください。」 ここの会員は50歳以上が売り物。この年代の方の中にブログに精通する人は少ないことは明々。通り一編の責任なしの回答で済まされることではないはずです。

品質の観点から見ると製造者即ちソフト製造業者に責任の一端があろうかと思われがちですがそれは少し違うと考えます。この場合もやはり広義には品質の責任を負うことになります。事業者であるブログ管理会社が発注したわけですからに納入されたソフトの品質を確かめているはず。仕様設計の段階から協議しながらソフトは作られなければ何も意味がないからです。たかがうまくつながらないと言うことですがネットの性格上つながらないサイトは品質の劣る商品を提供していることになります。ですから製品の瑕疵(運用)についてはむしろ発注者であるブログ管理会社に大きな責任のウェイトがあると考えるのが自然です。 したがって先に紹介した回答はまったく無責任であり使用者に責任転嫁するものです。

無償のブログを提供し集まるお客にスポンサーへ誘導する目的で事業しているとすれば品質(いつもつながり快適に楽しめること)を保証しないことに対する不信感だらけのサイトでは利用者が離れてゆきます。それでは投資している株主やスポンサーにとって不利益になることでもあります。利用者の利益に叶わず株主やスポンサーに対しても不利益になるような運営者は企業として社会的責任を果たしえない企業であり存続の意味すら失いかねないことを知るべきです。

ここに挙げたものは人命に及ぶような事ではありませんが企業経営のモラルの低さが問われる事象だと思います。いま世間で起きているさまざまな不祥事は経営者の倫理観欠如と言う認識が足りないが為の不祥事で後を絶ちません。

今の日本の各界に起きている不祥事は事業者の品質に対する認識の薄さや欠落から起こるものです。100歩譲って起こした不祥事やむを得ないとしてもその後対応がツーレート。危機管理もできないのは当たり前です。リスクに対する認識なしにはトラブル起こすのは当り前です。どうして本質に目をやり根本解決しないのか不思議でなりません。

車の安全運転は危険予知をしっかりして事故回避することに尽きます。原理は同じです。

それと最後に言えることは消費者と一体になって商品の品質を維持する企業が支持されるのであり内向きの論理で組織防衛する企業は時代の変革に乗り遅れた企業組織だともいえます。消費者のニーズにこたえられない製品は売れませんもの。そうならないためにも積極的に情報開示して消費者を味方につけ共存する姿勢が不可欠のように思えます。

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2007年9月 7日 (金)

大胆な改革出来ないのは何故

橋本会長は10月6日の記者会見で「執行部案はギリギリの線。譲歩する余地を見出すのは難しい」と述べたとの報道があった。これは背景にNHKの受信料値下げ案に対して経営委員会が一層の値下げを求めていることに対してのもの。執行部側は次の3案提示しているという。

1.一律50円引きした上で口座振替の利用者はさらに50円引き下げる。2.一律100円値下げ。3.口座振替の利用者のみ100円値下げ。だそうである。この執行部案だと最大7%の値下げになるといいます。

これに対して経営委員会は「もう少し努力しないと国民は納得しない」と言って10%以上の値下げを要望しているといいます。ちなみにこの経営委員会は外部有識者などからなる第三者機関で委員長は古森重隆フジフィルム・ホールディング社長。

NHKの受信料は国民が等しく電波利用の負担をする趣旨から税と同様に視聴料負担を義務付けている。(未払いでの罰則はないので税とは異なる)問題は負担の公平性をいいながら視聴料金の収集率が年々落ちてきていること。(未払い者が増えているということ)さらに度重なる職員の不祥事発生。前会長に絡む不適切な出費とか権力行使などが明るみに出たために一昨年来の不払い騒動に発展した経緯がある。

視聴料制度と言うことに対して受益者側の感覚として「見ても見なくても払うのか」と言う素朴な疑問を抱くのが自然な感情で基本的な不信感が消えない。裏を返せば登録制にして見たい人に受信料を払わせれば済むことを従来の受信料制度にこだわるところに不振を持つのだろう。それに未払い者を無くして行く努力なしに安定した収入にあぐらをかき経営努力を怠ってきた感はどうしても拭いきれないところにも大きな不信の根っこがあるようのも思える。

そう考えた時不信解消のために消費者である国民に対して経営の中身を見せず説明もせず政治的な駆け引きで収拾しようとするその感覚も国民感情からすると苛立ちを覚える人少なくはないはず。なぜNHKだけが公共性を理由に守られなければならないのかまったく疑問だ。料金問題は未払い収集努力も前提だけれども経営の収支を公表し値下げできない根拠を示さないかぎり政治決着では納得して「受信料を払えない」いや「払いたくない」というのが国民の気持ちだろうと私は思う。現行のままで良いから受信料払いますという人はいないと思う。色々言っても面倒。なるようにしかならない。しょうがないから払うと言う気持ちの人が圧倒的に多いのだろう。

こういう人たちの意識を変えるためにも真剣に改革をしたいと思うのなら今からでも遅くない。経営の収支を国民の前で説明しで納得させなさい

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2007年9月 4日 (火)

法令順守がつうじない集団

昨日わずか1週間だけの在任という可笑しな事件が起きた。安倍改造内閣補足から7日目の9月3日に山本農水大臣が辞任した。山形の自らが組合長をしている農業共済組合での補助金不正受給の責任を取ったという。

まてよ。先月の参議院議員選挙で自由民主党が大敗して内閣改造をしたはず。内閣改造して人身一心ではなかったのか。

それも選挙大敗は年金問題もあるけれど閣僚に不祥事が続きいくら首のすげ替えをしても後を絶たないことに国民は怒った結果の審判だった。にもかかわらずいかに就任要請があったからと言って重要局面で自らを正さず閣僚就任要請を受ける感覚がわからない。そのうえ就任早々記者会見でこの大臣だけはやりたくなかったというに及んではまったく気違い沙汰である。こんな議員に国費で歳費を払うのはごめんだ。この際議員も辞して欲しいくらいだ。補助金の不正受給は税金を騙し取ったに等しい。ここまで国を食い物にするのか。全共済組合の組織点検と経理査察をして不明瞭な共済組合があれば直ちに組織の解散と言うわけには行かないのか。腹立たしい。

会計検査院は任意での不正受給返還を待つのではなく詐欺罪で刑事告訴するべきであると思うがどうだろうか。どうも役所は議員に対して弱腰である。我々には目には見えないがそこにもたれ合いがあるような気がしてならないのだが。なにか不明朗な臭いがすると思うのは勘ぐり過ぎだろうか。

会計監査院の構成を調べてみるととても複雑な組織で縦割りに所轄しているようでこんな少ない人員で国費の使途の適性不適正を網羅的に監査できるわけがない。民間で言えば取締役の立場にあたるというがその下のラインにはどれだけの手足があるのか?。建前だけではお茶を濁すだけだろう。

世間では国際化の流れもあり民間企業においては企業のモラルがあらゆるところで問題にされる時代になった。いわゆるコンプライアンスといわれる法令順守の姿勢が問われるように変わった。資本金や社員の多さが大企業と言うイメージでかつ利益の多い企業ほど優良企業といわれたけれどもその根底には法令順守の企業体質あってのことなのである。

翻って国家においてはどうなのだろう民間の企業に対するそれを当てはめた時背筋が震えるほどゾッとする。まったく法令順守とはかけ離れたところで官僚組織も政党組織も成り立っている奇妙な国家である。組織を構成する官僚も議員もまったく自己保身と組織防衛に汲々としていて本来の役割を果たしているとは言いがたい。法令順守についてはまったくの後進国で途上国並みいやそれよりも劣るかもしれない。こう考えてくると問題の根っこはかなり大きいと考えねばならないだろう。

と言うのはただ1人山本議員だけではなく今世間で疑惑を持たれている諸氏のほかにもウンカのごとくいると見るのが妥当だろう。極端な言い方をすれば清く正しい議員なんてもういないかもしれないと考えざるを得ない。とても寂しい国だ。いささか逆説的になるけれどもこの際責任を取れといって辞めるのではなく留まり職責を全うしてもらうほうが良いのではないかと考えたりする。ただし条件がある。第1は公人なのだからあらいざらい明らかにして詫び不祥事再発覚の祭には議員辞職する。第2は職務に対して必ず成果を出すまで無給で働く。第3は次の選挙には一定期間出馬できない。など滅私奉公で国民に仕えるなら許してもよいというのはどうだろう。ムリだろうけどそのくらい怒っているということを言いたい。いずれにせよ特権階級意識が人間をダメにすることは間違いなさそうである。利権に群がり巣食う議員と官僚の根絶にはかなりの時間を要するだろうが諦めてはいけないと思うのだがそれまで生きられるだろうか。

この原稿をアップしようとしていた矢先に参議院神奈川選挙区当選の小林議員辞職の意志固めたというニュース飛び込んできた。選挙区の人間として辞任して当然と思っている。決断遅すぎたくらいで潔くないとの感を抱く。それに今朝は元農水大臣だった玉沢議員が離党するというがほとぼりさめたら復党するのかなとも思ったりするのだが。でも次の選挙は無所属のままで出るしかないだろうし岩手の支持者もそこまで馬鹿ではないだろうと元岩手県人としてつぶやく。

参考出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)審議官(しんぎかん)は、中央官庁における官職の一つ。身分は国家公務員。審議官には次官級、局長級、局次長級のものがあるが、共通することはラインから離れたスタッフ的な立場で政策を調整、取りまとめをする役目を持っていることである。国家行政組織法に所掌事務の一部を統括整理する職(総括整理職)と書かれているが、これが審議官に相当する。いずれも指定職で民間企業では役員クラスである。

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